相変わらずアクセス解析を見てしまう金澤です、こんばんは。ホント心に悪いっすね、アクセス解析……
まあツイッターのアクティビティとかカクヨムのアクセス解析もだんだん見なくなったので、見ないでも平気になる日はそう遠くないかな。
きょうはいつもの(というほどやってない)読書の感想でなく、いい歳になって初めて観て衝撃を受けた歌会始のことを書こうと思います。
歌会始、平成最後だと母が言い出して録画して観たんですよ。なんだか厳かで不思議でした。
そして、最初に詠まれた一般の人の歌に、衝撃を受けたのです。
山梨県 加賀爪あみ
ペンライトの光の海に飛び込んで私は波の一つのしぶき
高校生の感覚、めっちゃ瑞々しい〜〜〜〜!!!!
説明を聞いたら「ゲームのキャラクターの舞台でうんぬん」と言っていたので2.5次元とか応援上映とかアイドルゲームのコンサートとか、とにかくオタク趣味的ライブのことなのでしょうが、そのペンライトの光を「海」と喩え、己が波のしぶきだと表現する、このほんのちょっとの文字列に、完全にやられてしまったのです。
そもそもわたしは中卒なので学校で和歌というものに触れた経験が乏しいのですが、そんなの関係ナシでぶっちぎり美しい世界だと秒で理解しました。三十一文字の中に一瞬の、若く瑞々しい思いを閉じ込めたものが、この歌だ、と思いました。
わたしはほんのちょっとしか行かなかった高校で生ける屍のごとく保健室で梅仁丹をかじっていた人なので、こういう爽やかな体験というのがないのですよね。友達とライブに行くのはおろか映画すら友達と一緒に行ったことがないのです。
ありありと情景が浮かぶのです。この高校生のお嬢さんが、推しの歌い踊るステージに、同じ推しを持つ仲間たちとペンライトを振る、それが波間のしぶきのようにきらめく。
それは多感な高校生の心に美しい景色として残り、それを誰かに伝えるために短歌にした。
美しいじゃないですか……!!
誰かに伝える手段というのはたくさんありますけど、ここで短歌をチョイスするのが、なんとも美しい。日本の詩歌の歴史は長いですけど、それにこの内容を組み込むのがアリなのかと衝撃を受けました。
長い文章をダラダラ書くのがわたしのやっていることなのですけど、たった三十一文字にこれだけのことが凝縮できるというのは、さながら炭を固めてダイヤモンドにするみたいな世界ではないですか。その心に詰まっている世界の、なにを感じたかを閉じ込める手段として短歌を選ぶ、それも高校生が。
なんだかわたしの代わりに高校生をやってくれているみたいだと錯覚するレベルで尊い短歌でした。国語便覧でも見て短歌勉強しようかな……。
しばらく古本を読んでいるので次の更新は未定です。