めんどくさがりの自分の尻を叩く読書ブログ

読書は好きだ。だがめんどくさい。だけれど面白い本を読みたい。だから感想を書いて尻を叩くというブログ。

風の谷のナウシカ原作がヤベェ話

久しぶりにナウシカ原作を引っ張り出して読んでました。

風の谷のナウシカ コミック 1-7巻セット

風の谷のナウシカ コミック 1-7巻セット

 

これはマケプレなのかな?ちょっとわかんないですけど七冊まとめて。

すごいんですよ。前半は硬派な戦争もの、後半はポストアポカリプス極まれりなSFで。これ読んじゃうと映画はダイジェスト版になっちゃいます。

まずはユパ様の連れてる鳥いるじゃないですか。乗れるやつ。あれって遺伝子操作を受けた馬なんですよ。「馬はむかし獣だったらしい」みたいな会話が挟まったりします。ファンタジーじゃないんですよ。超骨太SFなんですよ。

映画には風の谷とトルメキア帝国とペジテしか出てきませんけど、もっとヤベェやつらが出てきます。それが土鬼(ドルク)です。映画終盤でナウシカに服を貸した女の子がそれです。

巨神兵を掘り起こし使おうとしたのが土鬼なんですよ。土鬼はヒドラという不死身の化け物や蟲をつくる技術を持っていて、映画のラストに出てくる吊るされた王蟲の子は映画だとペジテが捕まえてきたやつですが、原作だと土鬼が作って吊るしたのです。土鬼ヤベェ。人工的に作られた瘴気や粘菌も出てくるのですが、これも全て、土鬼が聖都シュワの墓所に残された技術を解読して作ったのです。

瘴気のない完全に清浄になった世界、というものも出てくるのですけど、ナウシカたちはその環境では生きられないのです。かつて聖都シュワに技術と、平和的に生きられる新しい人類の卵を用意して滅びた人々が、世界を清浄にするために用意したのがナウシカたちだったわけです。

ね、ヤベェでしょ?最終的にナウシカはそのかつての人類を否定するのですが、トルメキアのヴ王の王子たち(クシャナ殿下の兄ですね)はかつての人類が作った平和な世界で音楽を演奏することに夢中になります。音楽と詩こそ文明だ、と。

すごすぎてうまくまとまらないのですが、巨神兵もただでっかいデロデロしたやつでなく、作られた目的があり、ナウシカを母と呼びます。巨神兵もそうですけど皇弟の描写とかは宮崎駿アニメのデロデロを思わせてゾワゾワします。ジブリ好きならナウシカ原作は押さえておくべきだとナウシカ過激派なので思うんですよね。

 

あとクシャナ殿下が!!死ぬほどカッコいいのです!!髪を剣で切って「これは手向けだ!」と死んでいく兵士たちに投げるシーンのカッコよさ半端ない。そしてアニメとは違うシーンで「しょせん血塗られた道だ」というのもたまらんのです。

クシャナ殿下が戦っている理由が切なくてよいのです。このシーンは読んでほしいから敢えて語るまい……クシャナ殿下カッコイイ……。

あとユパさまの最期の壮絶さもすごいからみんな読んでくれ……。

 

あとなつぞらを観てから一巻の最後に宮崎駿の経歴が載っているのに気付いて、「おおおマコプロのモデルってここかあー!」となりました。

 

いまなんか、SF警察が話題になってるじゃないですか。科学考証より楽しさを優先した作品をSF警察が叩いているのを見て、これだからSFは廃れるのだ、と。

風の谷のナウシカ」ってポストアポカリプスで骨太SFで最強のエンタメで、なおかつ純文学(漫画だけど)だと思うのですが、科学については基本的に空想だと思うわけです。ヒドラにせよ巨神兵にせよ腐海にせよ、あとから理屈はついてきますがファンタジーだと思うんですよね。でも圧倒的なリアリティでファンタジーに止まらないでいるというか。

科学によってSFになったのでなく想像力でSFになったという点では零號琴に近いものがありますね。

SFの定義がなんなのか語る資格なんてないですけど、これを人類の生み出した最高のSFと言わんでどうする!と思うわけです。

 

というわけでナウシカ原作の話でした。ダイジェストになってるけど映画も好きです。金ローでやんないかな。