これ、すごい傑作だと思うのです。
少なくともわたしの頭の中でのスラム街は、この作品の薬島がモデルになるくらい、影響を受けていると思います。
ン年ぶりに読み返しましたが、相変わらずすさまじい衝撃でした。初めて手にとったのは中学生のころで、あのころはゴリゴリの腐女子だったので「びーえるだ!キクハシ?!Dハシ?!」とか思いながら読んでいたのですが、ここ数年腐女子からオタクに舵を切っていたのでそのときとは受ける印象が若干違いました。
中学生のころ家の本棚には上巻しかなくて、だいぶ経ってから古本屋で下巻を買ったのですが、ハシが歌声を変えるために試みたおそろしいことや、キクが考えたおそろしいこと、そういうことを読んだときただただショックだったのを覚えています。
今回再読して、確かに腐女子なりたてならキクハシとかDハシとかにも萌えられるのかなあ……と、そう思いました。もともと純文学であってライトノベルやライト文芸とかではないので、そこに夢中になるのはいささか違うのではないのかなと……。
腐女子に目覚めた直後ならなんでもカップリングに見えるじゃないすか。ひどければコルク栓とワインボトルすらカップリングに見えるじゃないすか。そういうことじゃないんすよ。そこに目が眩んで本当に読むべきことを読めてなかったんすよ……
まずは最初のほうの、キクとハシが治療のために心臓の音を聴かされる、というところが、最後の最後まで主題として貫かれるのがよいです。キクとハシはコインロッカーに捨てられた子供なのですが、まさにコインロッカーを胎内として生まれてきた子供だというのが、序盤のハシに催眠術をかけるシーンで鮮明に描かれます。
治療のために聴かされた心臓の音を、ハシが求めるのは、催眠術でコインロッカーに還ってしまったからなんですよね。心臓の音を聴いて、ふつうに母親から生まれてきた子供と同じ感覚を得たのに、それは些細なことから崩壊してしまうのです。
キクはキクで、衝動的で暴力的なのですが、ハシをとても大事な弟だと思っていて、そこもよいのです。ハシが大事な弟だから、それをテレビの娯楽にしようとする世の中に対して、ああいう手段に出たわけです。
村上龍の文章は独特の文体で、ぎっちり詰まって読みにくいのですが、それでサカサカ読んでも理解できるすさまじいリーダビリティには驚くしかないです。
そしてこの「コインロッカー・ベイビーズ」だけでなく、「愛と幻想のファシズム」とか、「半島を出よ」とか、後の作品にもこの暴力的で壮絶な世界かつどこか腐向けっぽい関係性のキャラクターたちが貫かれているのです……。
本当は愛と幻想のファシズムの再読感想も書きたかったのですけど、今月中に読み切るのはキツそうなので……テヘペロ。
図書館員の母がいうには最近村上龍の本はあまり借りていく人がいないそうなので、これ見て読んでくれるひとがいたらいいなあ。
あ、それからアリータは親戚の不幸ごとで延期になりました。読書ブログだけど観られたら感想書きたいなあ。